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聖ハリストス救世主教会(8Asahi)

救世主ハリストス聖堂
ロシア
 所在地:モスクワ市ボルホンカ通り15
 建築年:1883年、1999年再建
 建築家:コンスタンチン・トンほか
山盛英司(西部本社報道センター)
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 トルストイの名作『戦争と平和』の背景となったナポレオン戦争を、ロシアでは「祖国戦争」と呼ぶ。1812年、皇帝アレクサンドル1世はフランス軍を撃破。祖国の勝利を記念してモスクワに計画したのが、救世主ハリストス(キリスト)聖堂だ。
 実際に建築が着手されたのは、弟のニコライ1世の時。国家統治にロシア正教会の力を必要とした皇帝は、大クレムリン宮殿を設計したコンスタンチン・トンをはじめ、画家や彫刻家を動員。さらに2代の後、19世紀のロシア芸術の結晶といえる聖堂が完成した。
 その間、ロシアは戦争や暗殺で捲れた。聖堂完成の前年、トルストイはモスクワの市勢調査に参加し、都市の厳しい貧困を目撃。国や教会への批判を強めた。文豪の目に、金色のドームを冠した高さ103㍍の白亜の聖堂は、政治と宗教の危うい結合に映ったろう。
 やっと完成した聖堂だが、寿命は長くなかった。
 社会主義国家ソ連の誕生だ。スターリンが権力を掌握。次々と教会を閉鎖した。その象徴がハリストス聖堂だった。1931年、なんと爆破された。
 跡地に計画されたのが、「ソビエト宮殿」だ。古代神殿のような宮殿の頂に、革命の指導者レーニンの巨大像がのる。高さ415㍍。当時、最も高かった米国のエンパイアステートビルをしのぐ。権力者が仮託した野心が透ける。
 だが、第2次世界大戦などで建築は断念。跡地は、屋外プールになった。
 実はこの場所には、不吉なうわさがあった。ある修道院長が、「この場所に建つものはすべて破壊される」と予言したというのだ。果たして、プールも壊された。ソ連の崩壊。聖堂再建の運動が起きた。モスクワ市は開都850年の目玉事業として再建を決定。99年、ロシア正教会にとって「最も重要な教会」がよみがえった。しかも、聖堂を忠実
に再現したのだ。政治の中枢クレムリンの南西、モスクワ川に面して1万人を収容できるという聖堂がそびえる。足を踏み入れると、荘厳な空間が広がる。天井から注ぐ光に、数々のイコン(聖画)が輝く。なんといナ姦靴な復元
力だろう。篤い信仰心とともに、「強い祖国」の復活への願望が伝わってくる。
 政治との関係も復活した。07年、エリツィン元大統領の盛大な国葬が開かれた。08年の降誕祭には、まだ大統領候補だったメドページェフ現大統領が出席。メディアは聖堂を「後継者のための教会」と伝えた。
●正教会・専制・国民性
アレクサンドルl世を継いだニコライl世は、「正教会、専制、国民性」によって国を統治しようとした。多くの記念碑を造ったが、代表が救世主ハリストス聖堂だ。すでに計画案があったが、コンスタンチン・トン(1794~1881)
が再設計した。着工から完成まで40年以上かかつた。一方、「幻の建築」となったソビエト宮殿は、ボリス・イオファン(1891〜1976)の計画案をもとに構想された。断念された宮殿の跡地にあったプールは.「モスクワ」という名で、長く市民に親しまれた。
 ●救世主ハリストス聖堂の歴史については、聖堂のサイト(www.xxc.ru、ロシア語と英寿)が詳しい。聖堂とソビエト宮殿については、『ロシア建築案内』(リシャツト・ムラギルディン著、TOTO出版)に紹介されている○


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