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若松孝二(下)712asahi

異境の「戦友」見捨てず
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 口ぶりだけは、へりくだった警視庁の公安刑事たちが突き出す家宅捜索令状をひたすら黙殺しながら、仁王立ちの若松孝二(72)はたたきつけるように怒声を浴びせ続けていた。
 「お願いしますよ、監督。これ(令状)見てください」 「俺は見ない。勝手にバクればいいじゃないか」 「バクれやしませんから。落ち着いてくださいよ」
 「俺が一体、重信に関して、なにをやったというんだけ‥」 PFLP(パレスチナ解放人民戦線)と共闘し、ハイジャックなどの無差別テロを遂行した日本赤軍の最高指導者重信房子が00年11月、大阪府内の潜伏先で逮捕された直後、東京・代々木にある若松の事務所も関係先として捜索された。
 連合赤軍のあさま山荘事件、日本赤軍のテルアビブ空港乱射事件のあった72年以後、重信が逮挿されるまでに若松の事務所は十数回も家宅捜索された。そのつど、住所録が押収され、書き留められていた人物には、ひとり残らず刑事から電話がかかり、若松との関係を事細かに問いただされるのだという。
 「公安警察は俺をテロリストの資金源だと思いこんでいる。だから外堀を埋めて、つぶしにかかった。それでも十一の金を借りてまで映画を撮ったし、いよいよ撮れなくなったら不動産や骨董品、サメのエキスの商売でしのいできた。権力に屈したら、俺は若松孝二でなくなる」
 足立正生(69)を道連れに71年、初めてパレスチナにおもむき、壊滅する瀬戸際のPFLPゲリラの日常を撮った映像は編集され、記録映画『赤軍−PFLP 世界戦争宣言』 (略称『赤P』)となった。
 イデオロギー的共鳴というよりも、全滅覚悟のゲリラに命を救われた恩義に報いる義侠心がつくらせたかのような『赤P』は、武装闘争を提起するプロパガンダ映画でもあった。足立らが赤一色に塗りたくられたバスで巡回しながら、全国各地の大学などで上映したのである。
 この上映運動を、重信の親友で、連合赤軍の粛清で絶命した遠山美枝子も手伝っていた。
 鹿児島で『赤P』を見たという学生が、若松に会うべくはるばる上京してきた。真冬にサンダル履きのみすばらしい身なりをした寡黙なこの青年こそ、テルアビブ空港乱射事件の実行犯となる岡本公三(60)だった。
 兄が赤軍派のよど号ハイジャック犯だった岡本から、アラブ経由で北朝鮮へ渡る相談を持ちかけられた若松は、同情して飛行機代をカンパした。これが若松=日本赤軍黒幕説の発端だ。
 さらに足立も74年、みずから日本赤軍に加わっていた。
 思うがまま映画が撮れなくなっても、若松は年の瀬が近づくと、トランクに餅とあんこと明太子を詰めこみ、レバノンへ旅立った。ベカー高原に日本赤軍の本拠地があった。足立たちを日本の正月気分に浸らせてやろうとしたのだ。首都ベイルートのキリスト教徒地区で90年代に身銭を切って日本食レストランを開いたこともある。見こみ遠
いで長続きしなかったが、彼らが食いはぐれないよう、自活のよりどころにしたかったのだ。
 岡本らとともに97年、ベイルートで逮捕され、00年に日本へ強制送還された足立は語る。
 「若ちゃんは私を、同じ戦場で辛酸をなめた一兵卒同士の戦友のように思っているらしい。面と向かって言わないけどさ」勇気持てと伝えたい
 革命は甘い罠だった。 「僕らの世代ならば、あっさりあきらめてしまうものを。なぜ彼らはやり遂げられると思いこんだのか」。若松の最新作『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』で、父親と同い年の坂東国男役を演じた俳優の大西借満(32)はメビウスの環のような自問自答を止められない。
 山荘で逮挿された坂東は75年、日本赤軍のクアラルンプール事件の「超法規的措置」で出国。若松は、山荘内部で起こったことを粘り強く聞き出した。
 「坂東が言うには、山荘で、兄を粛清で殺された少年の同志から、(粛清は)もうやめようと(最高幹部の)森恒夫に勇気を奮って進言してくれていたら、兄ちゃんは死なずにすんだ、とつぶやかれたときほど落ちこんだことはなかったそうだ。俺が観客に伝えたいのは、『勇気を持て』ということなんだ」
 いまは消息不明の坂東に映画の完成を知らせるため、ベカー高原を今年2月、丸4日かけて捜し歩いたが、ついに再会は果たせず、あいまいな生存の噂だけを伝え聞いた。 =敬称略
(保科龍朗)

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