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「美しい」って死語ですか(707asahi)

森村泰昌さんに、分子生物学者福岡伸一さんが聞く 

人は何を美しいと感じるのだろうか。本来、多様であるべき価値観が揺らぎ始めている。「美」のいまを考える。
フェルメール.jpg
福岡  森村さんは名画の登場人物や女優に自ら扮し、写真や映像作品として再現する美術家として知られています。最近は17世紀のオランダの画家、フェルメールの絵に「侵入」する作品を発表されていますね。
森村 フェルメールの鮮作球場を白分の心と体で味わってみたかったんです。「絵画芸術」という傑作を初めて見たとき、遠近法が少しおかしいと感じた。そこでコンピューターなどで計算して描かれた部屋を再現し、登場人物の画家とモデルの二役になりきってその中に入ってみた。するといろいろなことがわかってくるんですね。例えば2人の位置関係。絵では十分な距離があるように見えるが、実際は1㍍ほどしか離れておらず、ある意味とてもエロチックな空間なんです。遠近法という秩序のある空間を保ちつつ、退屈させない世界が表されている。こういう絵を「美しい」という言葉で呼んでもいいんじゃないでしょうか。
可愛い」とお金が主役に
福岡 私はフェルメールのことを書くため、オランダや米国の美術館を訪ねました。カメラがなかった当時、絶え間なく動いているものを止めたいがため、画家はびっしりディテールを描き込むが、なかなかうまくいかない。ところが彼は光の一瞬をとらえ、人間が目で見ているようなフォーカスで止めてみせた。でもそこに、次の瞬間にどう動くかという予感も感じさせている。それをとても小さなサイズの絵でつつしくやっているところが美しいですね。
 森村 美意識は、いろいろな人の試行錯誤で生まれる多種多様なものです。何を美しいと感じ取るかも実に多様ですね。
 福岡 ところで最近、「美しい」という言葉が帝られなくな っていませんか。
 森村 おっしゃる通り。80年代後半のバブル経済のころから 「美しい」に変わる言葉として「カツコイイ」が使われ、最近最近は「カワイイ」になった。それ以外の価値観は「ダサイ」という言葉でバッシングをくらい、はやりもの以外は認めない世の中になってきました。いまや「美」が否定されているというよりも、否定しなければならないぼどの重ささえ持ちえなくなってきたと言えますね。
 福岡 価値をはかる一番の物差しがお金になってしまった。
 森村 現代の美術作品も、途方もない金額で取引されている。何かをつくり出すことが重要なのではなく、たくさんお金が動く、つまり経済効果が目的になっている。「マイナーであり続けることがメジャーにつながる」というところが本来の芸術のおもしろさなのに、明らかに主客が転倒しています。
 福岡 そうなると、結果だけが評価され、プロセスはどうでもいいということになります。

水着問題があらわす美意識の衰え
 森村 競泳の水着問題も同じだと患いませんか。英国のスピード社製ならタイムが速くなるとして、選手が別のメーカーと契約しているにもかかわらず、日本水泳連盟はオリンピックでメダルを取るため着用を自由にした。「約束は必ず守る」という美学がへ簡単に「勝ったもん勝ち」に静が変わってしまう。何が美しい生き方かということよりも、1等賞になれるかどうかが価値判断の基準になっている。科学的発明や発見綻よって人類の価値観の榛底が滞らぎ、弟議で持嘗」たえることが不可能な地殻変動が起きている、ということかもしれませんね。
 福岡 同感です。例えば生命現象でいうと、蜂の巣の六角形は実際にはいびつで、どれ、つとして同じ形はない。でも秩序がありながらも揺らぎがあり、動的なサイクルとして1回限りで生み出されている。こうした現象を私は美しいと患う。なのに「ここがいびつだから生えて効率を上げよう」といった工学的操作が盛んになり、そこに国家予算がついて科学の成果の指標になっている。私からみるとそれは美しくない。原子力発電所も遺伝子組み換え食品も安全かどうかだけが問われ、安全なら受け入れざるを得なくなっている。美か醜かという判断基準は成り立たなくなっています。
 森村 昨年の12月にニューヨークにいたのですが、ロックフェラーセンター前のイルミネーションが発光ダイオードになり話題になっていました。消費電力が減り、熱を持たないから木に巻いても安全。さらにブルーという色は精神を安定させ犯罪が減ると。しかし生きるっていうことば本来、熱を持つことですよ。僕は赤い光に感動する。自宅ではまだ電熱器を使い、お餅とかを焼いている。チチチと音が鳴り、体の中に熱が染み渡ってくる。音のしない発光ダイオードの不気味さを、どうしてみんな感じないんだろう。それがよしとされるのは安全で安心だからで、自分にとっての「美」とは何かは問われない。
 福岡 発光ダイオードの光が新しい知覚として現れたとき、美しいと思う人もいます。しかし、それは死んだ光の美しさという、ある意味で怖い美しさでもある。美しいと感じるものの裏に美しい怖さもあって、その播れというものが大切なのに、それを少しずつ見失ってきているのかもしれません。
 森村 何が美しいかということと、それが安全で安心、つまり真とか善であるということは、しばしば矛盾する。そういう面を持っているのが人間だ、というところが抜け落ちているような気がするんですね。何が美しいかを、どれだけ伝えることができるか。美術や芸術をやっている人間にとって、最も重要な仕事なんだと思います。
美術家と研究者の共通点
       ▼対談の余白に福岡伸一
 科学的にみて「真である」 「偽である」。倫理的に考えて「善である」 「悪である」。そのような価値判断は、私たちに対して均質化の「圧力」として、しばしば賛同を迫ってくる。
 森村さんと話して明らかになったことは、美しいか美しくないかの判断だけが、それに対抗しうる「基準」だということだ。なぜなら美しさの判断は極めて個人的なものだから。その白由度が大切にされない世界は息苦しい。
 森村さんはかつて、とても内向的な少年だったそうだ。美しいと思うものを、自分の内側へ内側へと追っていた先に、やっと表現への出口が見つかった。この感覚は、私たち研究者の探求のあり方にもつながる。


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